定 義 如 来  西 方 寺

平家落人の里・庶民信仰の祈祷寺院

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こうぎ住職の随筆のページです。よろしければお読みください

こうぎ住職のほっこり話 11月、12月号

拍手をおくろう

 ここ定義は雪がちらちらと舞う季節になりました。今年も間もなく暮れようとしています。
 年末になるとなにかとやらなければならないことがたくさんあって忙しくなる方も多いのではないでしょうか。何を隠そう私自身もその一人でございます。もし、そう思って行き詰まった時には少し頭のきりかえをしてみるのもいいのかもしれません。『しなければならない』から『ここまでできた』に。
 先日地元の小学校に授業参観に行く機会がありました。近所の小学校は1年生から6年生までの全校児童が17名。小さい学校ですがとてもよい雰囲気です。私が見た授業は全校児童がひとつの教室に集まって、それぞれが読んだ本をみんなに紹介するというものでした。1年生から順番に『自分は◯◯という本を読みました。この本は〜〜で、こういうところが自分はいいと感じました!』などと発表していきます。それぞれの発表の後に6年生がコメントします。そのコメントがよく考えられていて、そこには相手を認める、拍手を送る気持ちが込められているように感じました。人数が少ない学校ですが、その雰囲気からきっと子供たちは精神的にも豊かになっていくだろうと感じました。
 この他人を認め、拍手を送る気持ちは、他人ばかりではなく、時には自分自身にも向けてみることも大切です。そうしますと自然と感謝の念が湧いてきます。今日はこれができた。これをさせてもらえたと。
 またそこに仏さまに手を合わせる『依る心』を持って、朝に晩に仏さまに手を合わせながら(なむあみだぶつのお念仏をお称えしながら)生活していただくと、心穏やかに、仏さまのおまもりをいただきながらお過ごしいただけます。年末の忙しい時節どうぞ大事にお過ごし下さい。

なむあみだぶつ

西方寺住職
(11号2017.12.2)


こうぎ住職のほっこり話 9月、10月号

池の水

 夜に外に出てみると、鈴虫の声が聞こえてきて、ひんやりとした風を感じるようになってきました。
 ここ定義の五重塔の境内には池がありまして、たくさんの鯉が泳いでいます。週末となると子供たちが池の縁でえさをあげる光景をよく目にします。鯉がおれも!おれも!とバタバタとえさに群がります。結構な迫力です。その一方で、遠くの方ではゆうゆうと泳ぐ鯉がいて水面に写っている景色がゆらゆらと波打ちます。
 さて今回はここで和歌をひとつ。
池の水 人の心に 似たりけり
にごりすむこと さだめなければ
 いかがでしょう?今から800年前の鎌倉時代に浄土宗を開いた法然上人(ほうねんしょうにん)のお詠です。池の水は人の心に似ています。時に濁ったり時に澄んだり定まることがありません。先日私も自分の思う通りにいかないことがあった時、突然ぐらっと怒りがこみ上げてきた、そんなことがありました。生活しておりますと心が濁ったり澄んだり、その連続ですよね。そんな私たちだということをしっかりと自覚して仏様に手を合わせ(浄土宗では阿弥陀様にお念仏をして)生活しましょうということを教えていただいております。
 どうぞ仏さんに依りながら心の池も穏やかでいられますよう。良い一日をお過ごし下さい。
なむあみだぶつ

西方寺住職
(2017.9.18 )

 

こうぎ住職のほっこり話 7・8月号

仏作って魂入れず

境内にはハスの花やヤマユリの花がきれいに咲いております。夏も本番になって参りました。
 先日山形のお寺の青年会の方達が、子供さん35名と共にお寺で信行道場(しんぎょうどうじょう)をされました。いわゆる一日お寺修業体験のようなものです。小学生の子供達は、なれない正座に足をもじもじさせながらも一生懸命手を合わせておねんぶつしておりました。その姿は純粋そのもの。本堂から聞こえる元気なあいさつやおねんぶつは、お寺が活気づくような、パッと明るくなるような雰囲気がしました。
『仏作って魂入れず』 いくらいい家を建てても、立派なお店を作っても、そこにいる人たち、働く人たちが心を注がなければただのものになってしまいます。素晴らしい仏像を作っても、和尚さんがその仏像に魂を入れる作法をしなければ、それはただの作品。ご芯を入れてこそ仏様として信仰の対象になるということでしょう。山形の子供達の本堂からの声を聞いて、この言葉を思い出しました。お寺も同じで、そこで勤める人々、またお参りする人々の心がお寺を本物にしていくのだと感じました。
 我々の生活においても、その時々で目の前の物事に心をこめてしていきますときっといいものになっていくのでしょう。どうぞ仏様に手を合わせながら、目の前のことに心を込めながら、よいお盆をお迎えください。
なむあみだぶつ


定義西方寺 住職
(2017.8.1 )




こうぎ住職のほっこり話 6月

気づいたことを大切に

 お寺から見える山の緑が、雨降るごとに深くなっていきます。お日さまに照らされる緑がまるでトトロの映画に出てくる森のようで、自然のエネルギーに満ち溢れているのを感じます。
 先日、ある方からお手紙をいただきました。そこには以前お寺のカレンダーに書いてあった言葉『いいと思ったらサッサと取りかかる』が非常に心に響いたそうで、何かをする時いつもこの言葉に背中を押してもらっていますと書いてありました。これは前住職が記した言葉。そのお手紙を読みながらなるほどと、嬉しく思いました。
  私たちは生活している中で色々なことに気づかされます。その気がついたことを可能な限りすぐに行動に移してみる、これを言わなきゃと思ったら思い切って言ってみる(もちろん言ってはいけない場面もありますが)そうしますと思いがたまらず、心の風通しがよくなるように感じます。
 以前流行語にもなった『いつやるの?今でしょ!』というセリフがありますが、まさに『今』の連続が積み重なっていくお互いの人生。今、気づかせてもらったことを大切にすることが、ひいては人生を大切に生きることになります。
 付け加えますと仏様の前で手を合わせることも大切です。手を合わせ祈ることはいつでもどこでも気がついた時にすることができます。どうぞ今を大切に、合掌の心を持って日々をお過ごしいただければありがたいことでございます。
なむあみだぶつ

西方寺住職
2017.6. 4  



こうぎ住職のほっこり話5月

継続は力なり

 境内はちょうど鯉のぼりが気持ちよさそうに泳いでいます。小さい子供さんがそれを見つけて興奮気味にお母さんに教えている姿、なんともかわいらしい光景を目にしました。
 さて、今回のテーマは『継続は力なり』です。物事を続けるというのはなかなか難しいものです。身近なところでは、毎朝の散歩、夜寝る前のはみがき、ダイエットや勉強などそれぞれに色々とあることでしょう。『続ける』を調べてみますと、三日坊主にならないために何かを習慣づけるには最低そのことを21日間続けることが大切なのだそうです。コツは小さなステップでいいからとかく毎日やる、手をつけることが重要だと。
 先日、定義に岩手の団体さんがご祈祷を受けにお参りされました。『おしょうさん、私は定義さんに50年以上毎年お参りを続けているの。今年も来れてありがたいっちゃね~。』とニコニコ笑顔でおっしゃったおばあちゃんがおりました。50年間毎年欠かさずというのは、言うのは簡単ですが、実際にはとてもまねできないことです。その間きっといろいろな難しい状況もあっただろうと思います。このおばあちゃんと話していると、信仰心もさることながら毎年必ず定義に行くという信念を笑顔の奥に感じました。物事を続けることが、習慣となり、やがてその習慣が人や信念を作っていくのでしょう。
 継続は力なり。ご先祖さんや仏さんに手をあわせる習慣、これも非常に大切です。この習慣はきっと今後の人生に大いにプラスになります。どうぞ朝に晩に、まずは夜おふとんに入った時に手を合わせ仏さんやご先祖さんに心を向けてみる、そんなところから始めてみるのもおすすめいたします。
なむあみだぶつ

西方寺 住職
2017.4.30 



こうぎ住職のほっこり話4月

あきらめる心

 4月に入り境内にはミズバショウや福寿草が今年も顔を出してくれました。
 先月は野球日本代表のWBCや、サッカーのW杯予選、はたまた大相撲では新横綱の稀勢の里が見事な逆転優勝を飾ったりと、スポーツ好きな私はたくさんの感動をもらった半月でした。
 よくスポーツや日頃の生活においても『最後まであきらめるな。』というアドバイスを受けることがあります。先生やコーチに言われたことがある方も多いのではと思います。稀勢の里関も最後の最後まで諦めない強い思いが逆転勝利につながった、見えない力が働いたとインタビューで語っておりました。諦めない心、大事ですね。
 さて、 『あきらめる』にはもう一つ書き方がありまして、『明らめる』と書くそうです。辞書を引いてみますとこちらの『明らめる』は
『物事の事情・理由をあきらかにする。 心をあかるくする。心を晴らす。』とあります。
 もし自分がどうしようもない状況に陥った時、現実をもう一度、明らかに見つめてみる。それがもう一つの『明らめる』です。心を白紙にして、しみじみと現実を見つめてみると、心が平生となり、それまでは気がつかなかったものが見えてくるのかもしれません。決してマイナスな意味ではなく日々の生活の中で明らめること大事ですね。
 仏様に手を合わせること、これも自分を見つめ直すという意味では、明らめる行為と言えるでしょう。それ以上に仏様は常に私たちを見守ってくださっております。どうぞ諦めない心と明らめる心、どちらも大切にいきましょう。
なむあみだぶつ
西方寺 住職

2017.4.2



こうぎ住職のほっこり話3月

根元の恩!

 3月になりました。雪の下から新しい芽が出てくる時、幼稚園や学校では卒業の季節ですね。こんなお詠があります。
 さいた花見て喜ぶならば さかせた根元の恩を知れ
 花というのは綺麗ですよね。花びんに生けてあっても、道端に咲いていてもそれをじっくり見てみますと、人の心を和ませてくれる、花にはそんな力があると感じます。
 さて、このお詠、綺麗に咲いた花の影には、土や日光、葉や養分、はたまた水をあげる人のお世話など、いろいろな力添えが加わって咲いている、そのたくさんの根元の恩を心に留めなさいよと私は解釈しております。
 これを私たち、特に『卒業を迎える人』ということに当てはめてみますと、もちろん自分自身の努力もさることながら、たくさんの助けや力添えによって『卒業』という日を迎えることができるのだと思うのです。
 先日、子供が通う幼稚園バスの運転手さんがお寺の前で声をかけてくれました。今年度で定年退職されるそうで、感慨深そうにバスを降り、お寺の前に佇んでいらっしゃいました。その時、あ~、ここにも長年子供達がお世話になった方がいらっしゃったのだな~ということをしみじみ感じさせていただきました。 根元の恩、目には見えないけれどもたくさんの方に支えられながら生かされている私たちです。この卒業の季節、そういった方々に感謝の思いを持って、また守ってくださるほとけさまに手を合わせ、生活させていただきましょう。
なむあみだぶつ

西方寺
住職       

6号2017.3.2

こうぎ住職のほっこり話2月

再スタート!

 
 毎年ちょうど1月末から2月の上旬あたりに旧暦の元旦がやってきます。今年は1月28日がその日にあたります。中国や韓国などのアジアの国々では『春節』などどいって盛大にお祝いをするようです。
  さて、この旧暦の大晦日に、定義の寺では古くから行われてきた行事『そば打ち』があります。これは地元の人たちがお寺に集まり、そばを打って定義如来にお供えし、最後は除夜の鐘をついて新しい年を迎えるというものです。800年前、平家の落人方にとっては、そばはごちそう。それをそばがゆにして如来様にお供えして新年を迎えたと伝わっております。
 私は毎年このそばをいただく時に、『二度、おいしいな』と思います。ひとつはおそばがおいしい(笑)、もうひとつは、今年はすでに始まっていますが、また新たに再スタートを切れる、やり直せると思えるところが得をしたようで『おいしい』ということです。
  年初め、うまくスタートを切れなかった、目標が定まっていなかった、そんな時はこれを再スタートのチャンスとすることができます。
 除夜の鐘は一年間にたまった煩悩の垢を落とすという意味合いがございます。どうぞ、この旧暦正月に今一度身もこころも清らかに、仏前にて手を合わせ、スタートしていただければ有難い。よい一年となりますよう。なむあみだぶつ

合掌
西方寺
住職

5号2017.1.28(旧暦元旦)
 

  
  
  

初心を大切に

初心を大切に
 新年あけましておめでとうございます。
 さて、これを読まれている方は今年の目標や、あるいは新年をこんな年にしたいということなどありますでしょうか?
 私も新年を迎えるにあたり、できたかどうかは別にして、今年はこれをやるぞ!などと、毎年いろいろな目標やイメージを持ってスタートする様にしています。
 さて、先日、うちのお寺で勉強していた男の子が、本山にて無事に最後の修行を終え、晴れて和尚さんになって帰って参りました。彼はこれまでの日々や、無事に修行を終えることができたことを、とてもありがたく思っている様子で、その表情もあかるく、目はきらきらと希望に満ち溢れておりました。
 そんな姿を見て、自分も今から二十数年前に彼と同じく修行を終えた時の感動を思い出しました。よく『初心を大切に』、『初心忘れるべからず』などといいますが、まさにその初心を思い出させてもらったでき事でした。初心を忘れないためにはそこにあった『感動』を大切にすることが肝心だと思わせていただきました。
 一年の始まり、それぞれの志や心動かされた事などを今一度思い出し、スタートさせていただきましょう。
 またその思いを如来様やご先祖様に手を合わせ、おまもりいただきながら取り組めたら、尚ありがたいことです。どうか皆様にとってよき一年になります様、ご祈念申し上げます。なむあみだぶつ
合掌
西方寺
住職

4号2017.1.1
 

  
  

時間におくれない

 今年も残すところあと少しとなりました。12月は『和尚も走る』と書いて師走(しわす)と言ったりします。それぞれにお正月の準備や、今年中にやらなければならないお仕事などで、いつもよりも忙しくなる季節ですね。
 さて、先日あるテレビ番組を見ていた時に、ある市長さんがこんなことを言っておりました。
『社会人として一番大切なことはあいさつをすること、約束の時間におくれないこと。それができないと人の信頼は得られない。云々。』
 当たり前のことですが、確かにそうだと感じました。この二つ、小さい頃から学校でも教えてもらってきましたが、果たしてできているのかと今の自分に問いかけますと、反省させられるところが多々ございます。特に二つ目、約束の時間におくれることは、知らぬまに待っている人の時間を奪うことになります。『時間泥棒︎』になってしまっては当然相手の信頼は得られない、この市長さんの言う通りでしょう。
 仏教の教えのでも『相手を慈しむ心』を大切にすることを教えていただいております。もちろん我々は完全ではありません。だからこそ手を合わせて仏様に依りながら、生活していくことが大切です。
 年の暮れ、もう一度自分をかえりみて、まわりの人にあいさつできてるかな、いつのまにか人を待たせてないかなと振り返ってみる、さらには、まわりの人に感謝の念を持って過ごせたら有難いことですね。よい年末をお過ごしください。なむあみだぶつ。
合掌
西方寺
住職

3号2016.11.23
 

  

『今、ここ』

 秋が深まって参りました。定義の山々も緑から赤や黄に変わってきました。色づく山々を見ると私はいつも収穫の季節、
実りの季節だな〜という思いがいたします。
さて、『 現代人は忙しい。』とはよく言われること。そうだなと思う方も多いと思います。忙しいという字は心を亡くすと書きますが、今その目の前のことに心が行かず、いつの間にか先のことを心配たりと私もよくよくございます。まさに心ここに在らずの状態。
 そんな時に思い出す言葉があります。それは『マインドフルネス』日本語で表現するところの『今、ここ』です。ベトナムのお尚さんが世に紹介している考え方で、目の前の呼吸、今、ここに心を向けるのだそうです。忙しくてたまらない時にそっと目を閉じて、今、ここに心を向ける。ありのままの自分を見つめて、呼吸に集中してみる。すると私の場合、自分が今日ここにあるのもたくさんの人や物のおかげだなと思いがしてきて、自然と心が鎮まります。
 
 本堂で手をあわせる時もそのような穏やかな心持ちだと仏様に心が向きやすくなると思います。どうぞ、今、ここ、生き生かされているお互いを見つめ感じてみましょう。なむあみだぶつ。
合掌
西方寺 住職  
2016.10.27



  

ご縁を大切に

 ご縁というのは本当に不思議なものですよね。家族でも職場の同僚でもご近所さんでもそうですが、どういうわけか、今日もこうして顔を合わせて一緒に時間を過ごしている。これだけ多くの人が存在するこの地球上で、これだけ長い歴史の中で、どういうわけか同じ時代を生き、同じ場所にいるわけですから、よく考えてみますとよっぽどのご縁があるのだと思います。
 仏教では因果応報と言いまして、すべては原因があって結果が存在するという考え方があります。そういう視点でみていきますと、やはり今日顔を合わせ人はよっぽどのご縁があるのだと思います。それをありがたいな~、よかったな~ととるか、いやだな~ととるかは私(あなた)次第ですよね。前者にとれば気持ちもおだやかに、それがまたいい縁をつないでいくのだと思います。
  私の近所に『ありがとう』が口癖のおばあちゃんがおります。その方はいつ会っても、どこで会ってもありがたいありがたい、ありがとうありがとうと笑顔がすてきです。そのおばあちゃんに会うと、逆に私やまわりにいる人が、ありがたいな~という気持ちにさせられます。有り難がる心、『ありがとう』という言葉はよい縁をつないでいく言葉なのだと思います。
どうぞよい一日をお過ごし下さい。 なむあみだぶつ。

合掌
西方寺 住職
2016.9.24

 

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